こ ん に ち は

黒崎ご夫婦   行田ハスは294号参照

                      [こんにちは] How are you?

「こんにちは」は「『自学自得ハガキ通信』として昭和六十二年(一九八七年)十二月より始めて今日に至っています。少数の先輩、知人、友人の限られた方々に毎月初めに以下のよなものをハガキに始めは
ワープロで、パソコンを購入してからはこれに切り替えて発信してきました。
 最近、友人の小林成一様(倉敷市在住)がホームページにして下さるとのことで恥ずかしさをどこかにやってお願いすることにしました。題名も誰が読まれるかも知れませんので表題のようにいたしました。
 知らない皆さん「こんにちはどうぞよろしく」の心をこめて。
 今回はパソコンに切り替えて以後のものに限定して載せることにしました。

                                   第三一五 号平成十五年四月一日 

                                    

                       いまを生きる

最近、ひさしぶりに佐藤一斎先生『言志四録』を読む(岩波文庫)

「心は現在なるを要す。事未だ来らざるに、邀(むか)ふ可からず。事己に往けるに、追ふ可からず纔(わずか)に邀ふとも、便ち是れ放心なり」のことばに出合いました。読み下し文で通解されていない。その下註に(放心)孟子告子篇に、「(前略)学問の道は他無し。其の放心を求むるのみ。」「事」には過去、未来のことに尽きない煩悩にとらわれことがあってはならない。そして孟子の言葉を強調されている。放心につい、明治書院の『孟子』で調べると、「人がその本心を放失してしまうこと。本心とは仁義礼智を具えた良心を言う」と。

▼「いまいまを本気に」と先生が書かれた額を教室の教壇の後ろの壁に掲げられてご指導していただいた小学校四年生の担任の先生、いまでもわすれることができないものです。しかしこんな意味の深いことにはおもいたりませんでした。

 いまを生きるに誠心誠意で生きよと私ども子供にわかりやすい言葉で「本気に」と教えていただいていたことにきづかさせられました。

                                   第314四号 平成十五年三月一日  

                        パソコンと付き合う

 

 長年付き合っていたパソコンはアップル社のものであった。最近、故障のために廃棄した。その理由は周りの人たちがほとんどウインドウズであるため操作法がわからないときに質問しても会話が通じないことによる。ところが、ウインドウズはまったくの初めての使用であるためこれまた面倒が起こり使いきれない。現在の私は機器に使われているのが実態である。他の人間が作ったものの考えのとおりにマネしなければならない、なんと主体性がないのだろうかと思わせられている。

▼科学の進歩とともに文明の利器があらゆる面で発達して同じことがいえる。

格兵器、ロケット開発、情報機器に限らず、医学でのクーロン人間など数限りない。しかしこれが二面性を持っている。有用される場合と悪用される面である。そのもとは何かと考えると、人間のもつ二面性であるのではないかと思う。科学の進歩と同時にたしかに利便性はよくなっているが、いまだに世界の国のあちこちで戦争が絶えていないのはよくよく考えみなければならない。そのためにはどうすればよいのでしょうか。一人一人がその具体的方法確立したいものです。

                               第313号 平成15年2月1日  

                   イーメールとハガキ通信

       平成十四年十二月初旬、近所にある、一階が本屋と電気器具
     、二階がパソコンの売り場の店に行きますと、入り口で YahooBB
      が宣伝していた。無料お試し期間が二カ月だというので、いまま
      ではパソコンは使っていましたが、インタネットには加入していな
      かったので、つい試してみようと申し込み今年一月末
      まで使ってみました。
      ▼インタネットを使用されている人の感想は各人各様だろうが
      、イーメールの便利さを活用出来ないかと思いました。『自学
      自得ハガキ通信』に使ってはと、友人の一人に一月に使いました。
      彼はホームページを作っていましてその中に私の『自学自
      得ハガキ通信』を毎月追加し続けて下さっていました。そのた
      めに、私はフロッピーに原稿をコピーして、それを郵送してい
      ました。
      ▼イーメールのアドレスをもっておられる方には二月から利用
      させていただきたいと思います。そして、厚かましい願いです
      が受信されたらイーメールで返信していただければ非常に迅速
      に交流できるのではないかと。ハガキに比べると味気ないと思
      われる方もいらっしゃると思いますがご容赦願います。さらに
      月に一度だけでなくて、「朋有り遠方より電子に乗って遠方よ
      り来る。また楽しからずや」と考えていただければ幸いです。
      すでに、私がアドレスを知っている方は結構ですが、すでに
      おもちの方でよろしければアドレスをお知らせ願えれば幸いです。
      当然ですがつい昨年まで私も加入していなかったのですから。
       おもちでない方には従来どおりにさせていただきます。

 

                                         第312号 平成15年1月1日  

                   自分の中にカンセラを

        少年が何か悪いことをしようとした、その瞬間「自分のお母
       さんの悲しそうな顔が脳裏に浮かんだから、思いとどまった」
       と。この少年以外には知ることのできない平素の親子の関係の
       結びつきがあって、悪事をする事をおしとどめたのだろうと思
       う。大人でもあるかも知れない。
       ▼誰でもふとしたできこころがおこることがあるだろう。困難
       にぶっかり、失敗することもある。誰にも相談することが出来
       ない。自分一人で判断して誤ったりする。こんな人が多いだろ
       う。こんな時に相談する人がいたら自分の行動はまた変ったこ
       とになるかもしれない。その変化の善し悪しはその時にはわか
       らない。
        「自分の中にカンセラ」を持っているとどうでしょう。自分
       の両親あるいは、尊敬するひと、先生であれ、自分でこの人こ
       そはと信頼している人を。右すべきか左すべきか思い悩んだと
       き、その人ならどんなことをされるだろうか?どんなふうに考
       えられるだろうか?
        何一つも言われないだろう、しかしその人を思いだすだけで
       自分でさらに反省することになる。そうすれば、自分の行動に
       も自信がつき、納得する気持ちになれるのではないだろうか?
       今年は皆さまにはよい年でありますように。

                                         第311号 平成14年12月1日  

                         放射熱と人格 
 
        ストーブから離れたくない季節になりました。近づけば温かく、離れるとそれほど
       ではなくなる。何故でしょうか? ストーブから熱が体につたわるからであるといえ
       ば、あたりまえのことをいまさらと言われるでしょう。ご承知の通り熱伝達について
       大別すると、熱伝導、対流伝熱、放射伝熱およびこれらの組み合わせとなる。熱放射
       としては放出される赤外線が熱効果だけが認められる。空気を温め、対流により部屋
       の温度を高くして体に伝わる。また、直接に放射伝熱される。放射伝熱は熱源からの
       距離の二乗に反比例して伝わる。自分のいる所からの距離がはじめの位置から二倍離
       れると四分の一、三倍になれば九分の一になる。


       ▼ある人のそばにいるだけで安らぎを覚える。こんな人に会った場合、なにかしら不
       思議な感化力を感ずるものがあることを経験されるでしょう。心理的なことがらでし
       ようが、その人から何かが放射されていると考え、強引に放射熱にたとえると、その
       人に近づけば近づくほど多くの影響を受け人格の向上につながると思う。この人はと
       自分で思える方々にはなるべく親しくして頂く工夫をするように心がけたいものもの
       です。
        二〇〇二年も走り去ってしまった感じです。ともかくも健康に留意されて目標に意
       欲をかき立ててください。

                                           10号 平成14年11月1日  

                           がんの告知

         友人の一人は、現在「肺がん」で治療を受けている。また一人は「前立腺がん」の
       手術後、三年半経過している。五年たてば生存率は七十%だといっていた。 


       ▼「がんと闘ってねじ伏せるにせよ、共存するにせよ、相手を知り、自分自身を知る
       ことからスタートする。そんな考え方が次第に広まっている。各種の世論調査では、
       自身のがんの告知を希望する人が、しない人を大きく上回るケースが多い。先には、
       末期がん患者の家族に告知しなかったのは医師の義務に反すると訴えた裁判で、最高
       裁が遺族への賠償を認める判断を示した。かと思うと、がん告知直後に患者が自殺し
       たのは、医師の告知法に問題があったのでは、とする訴訟も起きている。告知の是非
       だけでなく、どう告知すべきなど幅広い議論が必要になったといえよう。」(日本経
       済新聞の張春秋より)


       ▼アメリカのジャナリスト:スチュアト・オルソップが、手術不可能で不治のがんに
       冒されて国立衛生研究所(NHI)で治療を受け、その十四階で出くわした入院規則で
       は、(一)積極的な治療を行うことーー患者が最後の息をひきとるかぎりの瞬間まで。
       (二)患者には真実を包み隠さず知らせること。(『最後のコラム』より)


       ▼日本の医師法には「がん告知」に関連した法があるのだろうか。あるならば、家族
       と本人の両方にか、あるいはいずれにか。医師が告知する方法までマニュアルが詳細
       が定められているのだろうか、あるいは病院または医師個人の判断によるものであろ
       うか。

                                       第309号 平成14年10月1日 
 
                   給食の時に合掌を禁ずる

 最近、富山の教育委員会でこんな決定が下されたという。給食の際に生徒が合掌して「いただきます」と言う習わしとなっていたが、これに文句をつけるものがあったらしい。問題は教育委員会の判断だ。法律は特定の宗教活動を公立学校で行うことを禁じているとして、合掌を禁ずる通達を出したという。(『実践人』平成十四年九月号)
▼「合掌」は仏を拝む時、両方の掌を合わせて拝することで、インドの礼法のつたえられたもの。(広辞苑)
 たしかに日本でも仏教関連行事には「合掌」はつきものである。
 キリスト教、イスラム教などいずれの宗教でも、定まった礼拝の形式のものが行われている。それはそれで認められる。しかし給食の際に生徒が合掌して「いただきます」と言う習わしとなっていたことが特定の宗教活動と考えられますか。多くの家庭での食事前の習わしがそのまま給食をいただく時に表現されているのではないだろうか。
 貴方たちの家庭では食事の時にはどんなにしていただいているのでしょうか。 
▼参考:「戦後、教育勅語は徹底的に消された。私の持っている百科事典には、教育勅語の項目はあるが、原文は載っていない。にもかかわらず、リンカーンのゲティスバーグの演説は、この事典では全文を英語で載せてある。いまでも日本の公教育では、宗教と哲学を教えない。「そんなものは、教えるべきでない」というのが、先生方の暗黙の了解であろう。その精神そのものの由来は教育勅語である。形に表れた勅語という文章を消したために、「宗教と哲学を教えないという基本方針は暗黙のうちに残った。これ自体が「和魂洋才そのもの」であることは、考えてみればわかるはずである。
養老孟司『人間科学』(筑摩書房)ページ十六。

                                      第308号 平成14年9月1日 
 
 楕円と円

 円の中心点は一コであり、半径の大小がある。円周上の点の中心点からの長さはすべて同じである。
 楕円は焦点が二コあり、楕円軌道上の点は座標軸0点からの長さは大くなり、また小さくなる。
▼最近の「政府の道路関係四公団民営化推進委員会」と与党の一部議員の「高速道路推進議員連盟」、あるいは「第二東名建設促進議員連盟」の動きをみるかぎりでは、「政府の道路関係四公団民営化推進委員会」と与党議員の二つの焦点のある楕円以上であり、いかにもバラバラにおもえる。
▼文科省が今春から実施した新学習指導要領が、ゆとり教育を目指して教科の学習内容を約三割削減したため「子どもの学力が低下する」との懸念が強まっていることに対応した、授業の理解が進んでいる子どもに対し、学習指導要領の基準を超えた「発展的な学習」を作成、八月二十二日に公表した。わずか一学期の短期で、長年検討されてきた新学習指導要領を超えたものを作成した。
 文科省の仕事振りもこれまた、二コの焦点の楕円にみえる。
▼もしも、どんな組織体でも基本方針と方向が明確で円の中心点のように一定しないと、働く人はどんな行動をするだろうか。どうせまたそのうちに方針がかわるだろうから、いい加減に仕事をしておこうと言った気分になり意欲の向上は期待できるだろうか。

                                         第307号 平成14年8月1日 
 
 私はどこに居るのでしょうか?

 七月なかば、午後三時過ぎ、いつものとおり散歩していた。するとおばあさんが近づいて来られた。
 「私はどこにいるのでしょうか?」と。
 「おばあさん、どこからこられたのですか」と。
 日傘をさし、右手には雨傘を持っておられた。ふとその柄をみると住所が書かれていた。それが岡山市内であることは知っていたが何処か見当もつかなかった。自宅の電話番号を聞くと、はっきりといわれたので、これでなんとかなるとおもった。たまたま、近くに電気工事をしていた人がいたので、携帯電話してみてくださいと頼んだ。気持ちよく引き受けて下さり、電話すると、長男さんがおられて、「◯◯銀行の支店の入り口で待っています」と伝えると、すぐに迎えに行きますとの返事であった。
▼散歩みちから◯◯銀行へのみちすがら、おばあさんとはなす……
 「私は八十五歳で少しボケてきているのではないかと思うんです。朝、七時すぎから家をでて歩いてるんです。家族は今年、定年になった長男の夫婦とそのこども二人の五人で生活しています」と。
▼三十分ほどすると、迎えの自動車が来て、白髪まじりの長男さんが
 「朝食に呼びに行くと居なかった。おばさん、外に出るなと何度もいっているではないですか」となじって、おばあさんを乗せ、さっと立ち去つた。
▼老齢社会化はいろいろな生理的、社会的はかり知れない問題をもたらしている。また、その家族は大変な心痛と負担でしょう。
 「私はどこに居るのでしょうか?」「私は少しボケてきているのではないかと思うんです」の「私」を「日本」に置き代えてみると、私ども一人一人の肩にその重みをずつしりと背負わなわなければならないのではと考えさせられた。私はどこに居るのでしょうか?

                                          第306号 平成14年7月1日        
 
 ベェツロバーツさん(Betsyroberts)の坐禅会参加動機

 十四年六月九日(日曜日)、曹源寺日曜坐禅会の小方丈での茶礼の席に列席されていたシアトルフリーランドにある〈一滴禅堂〉タホーマの坐禅会に参加されているベェツロバーツさんの紹介があった。その席でお聞きしたことである。
▼彼女は、八十歳の米国女性である。彼女が一滴坐禅会に参加されだした動機は、数年前に原田正道老師(曹源寺)と出会ったことにある。当時、彼女はがんの手術を受け、薬などの併用もあって、肉体的にも精神的にも大変苦しんでおり、心が動揺していた。その時期に老師の講演を聞く機会があり、当日は一滴禅堂での前列から三列目の中央に席をとっていた。
▼老師のお姿に何か感じるものがあり、お話を聞いているとき、老師の両眼から光が発せられ、その光が自分の体の中に吸い込まれるように入ってきました。それから、急に心が安らかになり、体が楽になり以来、毎朝四時半に起床、五時からの一滴坐禅会に参加しています。
とのことであった。
▼今は、がんも消え、遠く岡山の曹源寺の接心にも参加されるまでになったとのことであった。彼女は、数ページの新聞を毎週、ご自分で発行されておられる。部数は二万部。風評によれば、内容も読み応えのある立派なものである。そのうち読ませていただくようにお願いしている。
 彼女から受けた印象は、穏やかで八十歳とは思えない爽やかさであった。

                                           第305号 14年6月1日
 
 芝生の縁(ふち)を踏むな

 五月末の晴天の夕暮れ、Kの字に型どった小さな芝生に坐り込んで、勢いよく伸びている芝を剪定鋏で切り取っていた。まことに原始的。陽もだんだんとやわらくなり、チョキ・チョキと鋏を動かしていると、江田島の兵学校の生徒たちが居住、自習していた三階建ての「生徒館」の前の広い芝生のグラウンド(私が生徒の時は、練兵場といっていた)が思い出された。その芝の縁がきわたつていて、同時に、先輩から「芝生の縁を踏むな!」とおしえられた。手を動かし続けていると、「生徒館」の屋上で時々同期の友人とそこで周囲の景色をながめながら話をしていた。高さ七十センチくらいの防護壁でかこまれていた。「防護壁には決してよりかかってはならない!」。また「自習室の扉の敷居は踏むな!」と指導されていた追想が次々とー。
▼なぜ?こんなことが習慣になるまで口やかましくしつけられたのだろうか? 今から思うと厳しい学校であった。それらしつけの理由はともかくも、現在の私にはその意味をかんじている。
▼森 信三先生は、しつけの三大原則
 一、朝のあいさつをする子にー。それには親の方からさそい水を出す。
 二、「ハイ」とはっきり返事のできる子にー。
   主人に呼ばれたら必ず「ハイ」と返事すること。
 三、席を立つたら必ずイスを入れ、ハキモノを脱いだら必ずそろえる子に。
と教えられている。
▼時は流れ、生活様式もさまざまになり、しつけも変つている。変化してよいものと、あくまでも伝承したいしつけがあると思う。例えば、日本間の上座と下座は知っておき、多くの人と同席するとき、自分はどこに坐ればよいかぐらいのしつけは忘れて欲しくないものの一つだー。右の写真は入校当時の筆者。

                                     第304号 14年5月1日 
 
 先人の言葉

 時にふれ、感銘を受けた先人の言葉のなかから、自省をふくめたキーワードで取り上げました。

○どんな小さい行でもいい 積み重ねられたものは 木の実のようにいつか その人を円熟させる。                                      (坂村真民) 
○平凡も続ければ非凡になる。                              (板橋興宗)
○自分は主人公 世界でただ一人の自分を創っていく責任者
 ほんものはつづく つづけるとほんものになる。                      (東井義雄先生)
○小積りて大となる。                            (二宮尊徳)
○千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を練とす。能々吟味有るべき也。
                                        (宮本武蔵)
○手習ひは坂に車を押す如く油断すればあとに戻るぞ           (一茶)
○一事を必ずなさんと思はば、他の事の破るゝをもいたむべからず。人の嘲りをも恥ずべからず。 『徒然草』
○子の日わく、性、相い近し。習えば、相い遠し。 『論語』
○汝ら比丘(びく)若し勤めて精進すれば則ち事として難き者なし、この故に汝等まさに勤めて精進すべし。譬えば、少々の常に流れて則ち能く石を穿つが如し。行者の心しばしば懈廃(げはい)すれば、譬えば、火を鑽(き)るに未だ熱からずして、而息(や)めば、火を得んと欲すると雖も火を得べきこと難きが如し、これを精進と名付く。  『仏遺教経』

                                       第303号 14年4月1日
 
 西行の願心
  
 今年はさくらの開花が早くて、三月十七日の日曜坐禅会が終わり、曹源寺の書院での茶礼の席から庭園の枝垂れ桜のほころび始めているのをみせて頂くことができました。

  〈願はくは花のしたにて春死なんそのきさらぎの望月のころ〉

 有名な西行の和歌である。
 
 参加者の一人から、西行のこの和歌の「きさらぎ」はどんな意味があるのでしょうかと疑問が投げかけられた。
 老師のお話では「お釈迦様が入滅したのが陰暦二月十五日である。そのころに西行は死にたいとねがったのであろう」と。
▼歳時記には「西行忌」の季語がある。陰暦二月十五日は西行法師の忌日とされている。彼はは建久元年(一一九○年)の陰暦二月十六日、七十三歳で河内国南葛城の弘川寺に円寂した。
▼いままで、この和歌の「きさらぎの望月のころ」に私は全く疑問を感じたことはありませんでした。きさらぎ(如月)については単に現代の感覚の二月であるとすれば梅は咲くとしても桜の花は見られない。この歌が作られた時代は旧暦の二月であり、その望月のころは、新暦に計算するとすれば一カ月と十四日ずれているから、陰暦二月十五日は三月末か四月の初めころにあたり例年ではちょうど桜の花の時期に相当する。望月については、私が見せて頂いた「涅槃図」では婆羅双樹の下で涅槃に入っているお釈迦様に望月の静寂な光りが降り注いでいる。
「きさらぎの望月のころ」の言葉に西行の願心のほどが伝わってきませんか。

                                        第302号 14年3月1日
 
 つれづれ草
 
 一月のある日、NHKの視点・論点で、東京工業大学名誉教授の方が、芥川龍之介と小林秀雄との『徒然草』についての評価について語っていた。
▼芥川龍之介は   
       つれづれ草
 わたしは度たびかう言われてゐる。ーー「つれづれ草などは定めしお好きでせう?」しかし不幸にも「つれづれ草」などは未嘗愛讀したことはない。正直な所を白状すれば「つれづれ草」の名高いのもわたしには殆ど不可解である。中學程度の教科書に便利であることは認めるにしろ。  
 『侏儒の言葉』(大正十二年-昭和二年)に書いている。彼は昭和二年(一九二七)三十六歳、自殺している。
▼小林秀雄の書いたものの一部
       徒然草  
 兼好の家集は、徒然草にについて何事も教えない。逆である。彼は批評家であつて、詩人ではない。徒然草が書かれたということは、新しい形式の随筆文学が書かれたということではない。純粋な鋭敏な点で、空前の批評家の魂が出現した文学史上の大きな事件なのである。僕は絶後とさえ言いたい。彼の死後、徒然草は、俗文学の手本として非常な成功を得たが、この物狂おしい批評精神の毒を呑んだ文学者は一人もなかったと思う。
 この評論は、小林秀雄(一九四二年八月)四十歳の時のものである。
▼同じ「つれづれ草」、あるいは「徒然草」でもこのように評価が分かれている。しかし、約六七○年まえに書かれたものが、今日までだれかに、その人なりに読みつがれてきていることに古典としての価値をみとめたい。
 古典に自分を投映して読むと、鏡の上にじぶんのありかたが写しだされるようである。そうすると妙に古典を読むたのしさを感じる。自分のなかに隠れていたものを引き出してくれ、共感するからだと思っている。一、二年間に一度くらいくりかえして読むと自分のかてになるのではないだろうか。

                                       第301号 14年2月1日 
 
 羊頭狗肉・選良

         二○○二年一月二十九日、新聞を読んで 
▼牛肉買い取り制度を悪用した雪印の行為が業界への不信を増幅。
 海外牛肉を国産と偽装していた雪印食品が、北海道牛肉を熊本産として偽装出荷していたことが二十八日発覚した。これを受けて同社は鶏や豚肉を含む食肉から全面撤退する方針を決めた。その後の調査で次々と不正が明らかにされている。 
▼徳島大学教授ら逮捕 調べでは厚生省に「厚生科学補助金」の申請した際、実Gロに購入する予定のない文房具などの消耗品を計上し、一九九九年十二月に一千万円余の補助金を不正に受け取った疑い。
 以上の二件から、羊の頭を看板にかけて、実は狗(いぬ)の肉を売る。広告と実質との一致しないこと。「羊頭狗肉」ともいう。古典の言葉を思い出させられた。
▼外務省が一部のNGOのアフガン復興会議への参加を拒否した際に、鈴木氏が外務省に参加させないよう「圧力」を掛けたのかどうかという問題をめぐり国会冒頭から全面対決。一月三十日には首相、田中外相を更迭、野上次官も更迭、鈴木議運委員長引責辞任に発展。
 代議士とその人達から選ばれた大臣のあいだで、しかも国会冒頭から全面対決とはどうもいやはやと言いたいのは私だけだろうか。「選良(せんりょう)」と言う言葉があった。選び出された立派な人物の意で、代議士のことと、国語辞典に説明されている。こんな言葉があったのかと過去形でいいたくなる。

                                       第300号 14年1月1日 
 
                     本卦帰(ほんけがえり)
 生まれた年の干支と同一の干支が再び回り来ること即ち六十一歳になることになります。昔は人生五十年といわれ、六十歳は長寿で還暦祝をされたのでしょうか。
 本卦帰をタイムスリップすると、昨年は昭和十六年、太平洋戦争が始まった年でした。それからの六十年後には「テロの戦争」と米大統領をしていわせしめた米同時多発事件、アフガニスタンへの爆撃が勃発しました。偶然かも知れませんが。人には道徳の進歩があるのかと疑問に思われます。
▼昨年は辛巳(かのとみ)でした。
「辛」は万物が新生する意味で辛という。
「巳」は十二支において巳にあたり、巳とは陽気が巳(みな)つきはてる意味である。
 「万物が新生する」と「陽気がみなつきはてる」の説明の組み合わせは一体どう考えればよいのだろうか、
まったく矛盾した説明であるようだと述べました。
▼今年は壬午(みずのえうま)になります。『史記』によりますと
「壬」は任であって、陽気が万物を地上に養うに任(たえ驕j意味である。
「午」(ご)は陰陽がまじれる意味で午というのである。
 どんな年になるのでしょうか。
▼本卦帰で六十歳を限りに零歳から始まると考えるとどうでしょう。
 だれもかれも「無一物」でしたはずです。その上に何を積み上げるかが私たちの課題だと考えてみたいものです。
 皆様よい新年をお迎え下さい。

積極的に仕事に取り組めるようにして働かせるのが重要な職務である。」などと「大臣の心得」を諭した内容で、事務方と確執が続く外相への「説得」に自ら乗り出した。(以下略)(日経d平成十三年十一月二十八日)。この内容の一部が記載されていました。
▼どんな物を渡したのか。  
 致知出版から安岡正篤『佐藤一斎の「重職心得箇条」を読む』\新書本サイズで九十六ページが出版されています。
▼この本の帯紙には「人の上に立つ者の行動指針の書!」と書かれています。
 『重職心得箇条』は十七箇条であり、安岡正篤先生が箇条ごとに解説されています。国の重職にある人は先ず己を修め、人心を治めることが要請される資質であることは論ずるまでもない。マスメディアの発達している現在は重職にある人々の一挙手一投足、また一の発言がきわめて迅速に伝わり評価される時代である。人の上に立つ者はこの内容を参考にして行動して欲しいものです。
 追伸 今年の年末には岡山市曹源寺も除夜の鐘がNHKで放映されます。


                                           第299号  13年12月1日

                        指導者の資質
 
 「(業績不振は)従業員が働かないからだ」という富士通の秋草直之社長の発言があった。
▼いつ、どこで、誰に話したのか、そのうえ富士通はどんな会社か知らないからコメントすることはできないが、従業員はどんな気持ちになっただろうか。会社勤めをした経験のある私にも、社長の発言とは思えない。
▼小泉純一郎首相は十一月二十七日の閣議終了後、田中真紀子外相に江戸時代の儒学者、佐藤一斎の『重職心得箇条』と題する訓話を手渡した。「部下を引き立てて、気持ち良く
 わたしは度たびかう言われてゐる。ーー「つれづれ草などは定めしお好きでせう?」しかし不幸にも「つれづれ草」などは未嘗愛讀したことはない。正直な所を白状すれば「つれづれ草」の名高いのもわたしには殆ど不可解である。中學程度の教科書に便利であることは認めるにしろ。  
 『侏儒の言葉』(大正十二年-昭和二年)に書いている。彼は昭和二年(一九二七)三十六歳、自殺している。
▼小林秀雄の書いたものの一部
       徒然草  
 兼好の家集は、徒然草にについて何事も教えない。逆である。彼は批評家であつて、詩人ではない。徒然草が書かれたということは、新しい形式の随筆文学が書かれたということではない。純粋な鋭敏な点で、空前の批評家の魂が出現した文学史上の大きな事件なのである。僕は絶後とさえ言いたい。彼の死後、徒然草は、俗文学の手本として非常な成功を得たが、この物狂おしい批評精神の毒を呑んだ文学者は一人もなかったと思う。
 この評論は、小林秀雄(一九四二年八月)四十歳の時のものである。
▼同じ「つれづれ草」、あるいは「徒然草」でもこのように評価が分かれている。しかし、約六七○年まえに書かれたものが、今日までだれかに、その人なりに読みつがれてきていることに古典としての価値をみとめたい。
 古典に自分を投映して読むと、鏡の上にじぶんのありかたが写しだされるようである。そうすると妙に古典を読むたのしさを感じる。自分のなかに隠れていたものを引き出してくれ、共感するからだと思っている。一、二年間に一度くらいくりかえして読むと自分のかてになるのではないだろうか。

                                                第298号 13年11月
 
                           三学・三樹の教え

 十数年前、駿河銀行研修所を訪問したことがある。駿河台の丘陵にあり、北東には富士山がそびえ、南には駿河湾の眺望が広がっている。
 研修所の周囲には、社史図書館、企業経営研究所、ベルナール・ビュフエ美術館、小島伝記文学館(伝記作家・小島直記)、井上文学館(井上靖)が配置されていました。副所長から研修内容、研修所利用状況などをうかがい、所内の見学をさせていただきました。玄関をはいると、二カ所に取り付けられていた鋳物板に書かれたいた言葉に私は引きつけられ、当銀行の教育理念と所訓ではないかと受け取らせていただきました。
▼その一つは 
  少にして学べば、則ち壮にし為すことあり。
  壮にして学べば、則ち老いて衰えず。
  老いて学べば、則ち死して朽ちず。
 三学の言葉は幕末の大儒、佐藤一斎『言志四録』の中の一章です。 
 「実践人」の道友、田端 繁様から最近頂いた、『次代に贈る言葉』にも取り上げられていました。
▼その二は
  一年の計は穀を樹うるに如(し)くはなし。
  十年の計は木を樹うるに如(し)くはなし。
  終身の計は人を樹うるに如(し)くはなし。
 三樹のことばは『管子』の名言です。
 それぞれの立場で読んでも味わい深いことばです。

                                                第297号 13年101日     
 
                          「日日是好日」

 松原泰道禅師著『人生を支える言葉』中で「日日是好日」\「今日なすべきことを明日にのばすな」。この文句は禅語で日日は「ひび」ではなく「にちにち」と読みますとある。(中略)なおこの句に白隠禅師が「実に容易ならぬ一語」と嘆じたほどの奥深い内容を秘めていますとある。
 先輩からのお便りの一部です。勉強になりました。
▼私も「ひび」と読み、なにも疑問を感じていませんでした。
 「にちにち」と読む理由はと、自分なりに考えてみました。
 「日」は「ジツ・ニチ ひ・か」の読み方がある。漢音と呉音を調べると漢音は「じつ」、呉音は「にち」であった。お経は呉音で読まれているから禅語も呉音であると思う。したがって「にちにち」と読むのがよいのだろう。
 次に「にちにち」を「にち」・「にち」と間を置いて読むのが泰道禅師の言われるこの禅語の本質ではないだろうかと。
▼「歩歩是道場」の禅語もある。「歩」は象形文字で左右の足あとをしめす。一歩一歩が道を行う場であると考えるとこれまた「実に容易ならぬ一語」であると言えるのでしょう。
▼私が小学校四年生のとき、担任の先生が色紙に「いまいまをほんきに」と黒板の上の縁に掲げて、文字どおりのご指導下さいました。わずか一年で転勤されて以来一度もお目にかかっていません、しかしこの言葉と先生の当時の授業の姿が六十年以上の今も私の心の奥底に刻みこまれいます。

                                         第295号 13年8月1日       

            ハスーー(その二)ーーハス(蓮)の葉が水を弾く理由

 栗田 勇著『花を旅する』(岩波新書)に、
 「蓮への思いの源流」の表題のなかに、「では、古代から人々の蓮への深い思いの源流はどこからきたのでしょうか。それには三つあると思います。一つは、泥、汚れた水の中から、非常に清らかな花が咲く。つまり汚れることがない。もう一つは、葉が水をはじく、つまりとらわれることがない。この二つのシンボルがあります。もう一つのシンボルが、連根でも種子からも繁殖する力、生命力の強いエネルギーです。蕾と花は男性的とも女性的シンボルともされている。」 
 昔からこんな想いをもって、花が観賞されていたようでした。
▼私は「蓮の葉が水をはじく」現象に理科的な興味にひかれた。知人が「蓮の葉の表面には短い毛が密生しているから、葉の上に水がかかっても転がり落ちるのだ」と教えてくれた。
 葉の表面の実際の様子を目で見たくなる。肉眼でも、手で表面をさわっても、そのからくりを想像することさえできない。そこで電子顕微鏡でみたらどうかと思いつき、K社の研究者に依頼すると、こころよく引き受けてくれた。
 さすがに走査電子顕微鏡だ。たしかに葉の表面に小さい突起物が約0.015ミリの高さのものが同じ約0.015ミリ間隔で無数にあり、さらに、短い針状結晶様の物が全表面を覆っている。溶剤のアセトンで表面を洗うと結晶物はなくなり、濡れるようになる。その物質はワックスだそうだ。下図をみて下さい。
 ワックスで覆われた無数の突起物の上に水が乗っても水の表面張力のために真球状の水滴がボール状になり弾けて流れおちることがわかった。 
左表面  右洗浄後

    一天四海と黒崎氏         

此のハスは行田市の公共施設建設の際出土した種が自然発芽し開花したもの。市の天然記念物。池一面に咲く様は感激もの。

6月中−8月中旬が見ごろ

行田古代ハス                                                                                                           第294号 13年7月1日      
              ハスーー(その一)ーーハス(蓮)の名称

 ハスには大賀蓮をはじめとしてその品種がたくさんあり、その品種に名前がつけられています。
▼ハスといえば仏様の花と感じるでしょう。ある資料では約百種のものがある。その名前の一部を紹介すると、瑞光蓮、妙蓮、輪王蓮、一天四海、真如蓮、天竺斑蓮、天上蓮、天女蓮、仏足蓮、白光蓮、法華蓮、香炉蓮などがある。その他には招提寺蓮などお寺の名前のものなどもあり、ほかには王子蓮、皇妃蓮、アメリカ蓮などもあります。
 近所のお寺に植えられていた瑞光蓮は六月末に咲いて三日の花の生涯をおえました。風に吹かれて花びらが一枚、一枚と散る様はかっての若い純粋な先輩パイロットたちの散華をおもわせらる。
▼ハスに限らず、バラにしても種類が多くて、それぞれの名前がつけられている。私どもにも名前がある。子供が生まれると両親をはじめ関係者が赤ん坊の将来の健康、幸福、知恵を願って子供の未来に思いをはせてああでもない、こうでもないと考えに考えて名付けている。
▼国には国の花がある。日本はヤマザクラである。英国はバラ、インドはハスだそうだ。お釈迦様生誕、仏教を説かれた国であることも関連してか、ハスの品種の名前にその教に結びついたものがつけられているのが多いのも納得ができるようだ。
 来月はお盆になりますので、次号もハスについて書きます。

                                         平成十三年六月一日 二九三号
 
           『論語』を読んで--後生への期待         
 
 『論語』巻第五「子かん第九」に次の四章が続けて書かれていた。
 「子の曰わく、これに語(つ)げて惰(おこた)らざる者は、其れ回なるか。」 
 「子、顔淵を謂いて曰わく、惜しいかな。吾れ其の進を見るも、未だその止(や)むを見ざるなり。」
 「子の曰わく、苗にして秀でざる者あり。秀でて実らざる者あり。」
 「子の曰わく、後世畏るべし、焉(いずく)んぞ来者の今に如(し)かざるを知らんや。四十五十にして聞こゆること無くんば、斯(こ)れ亦た畏るるに足らざるのみ。」
▼『論語』の読み方は人様々であり、それぞれの読み方でよいと思っている。私は一章ずつを箴言として読んでいた。今回、たまたま「子かん第九」の上述の四つの章は続けられていて、筋道の通ったひと続の短いまとまった文章のように思えた。
 全体として起承転結の文章になっているからではないかと気付いた。まず、「起」として回(顔淵)を取り上げ、「承」にその人物はいかなる者であったか。「転」に苗の優劣と成育をとりあげ、「結」として四十五十歳までの生き様を説いていると。
 孔子の優秀な弟子にたいする期待がひしひしと伝わってくる。

                                        平成十三年五月一日 二九二号 
   
             あなたの心に残っている人は 

        
    どなたもこれまで家族、親戚、学友、職場での人々など数え切れない人たちと出会ってきたでしょう。この人たちのなかで自分のこころに深く残っている人は、はたして何人いるだろうか、書きあげてみてください。あの人、この人と多くの人がいる方、また数少ないが本当にあの人は忘れることの出来ない人だと想われている方、様々でしょう。
▼次は、現在の自分の心に残っている人のなかから選ぶのは難しいことでしょうがあえて三人ないし五人に限定してみて下さい。
 その次はその選んだ一人一人について、なぜ私の心に残っているのだろうかと考えられるだけの事柄を羅列してみて下さい。たとえば、自分が困っていたとき助けてくれた、自分の悩みをよく聞いて相談にのってくれたなどと。
 この作業が終わると、羅列した事柄に共通するものはなにか整理すると其の人たちには必ずなにか素晴しいものを持っていることに気付かされるとおもいます。
▼「あなたの心にのこっている人」になられた人の人柄・行動は何だったのか、また、この手順を通して何を感じられたか、お手数をかけますが、お暇があったらお知らせいただければありがたいことです。                                          

                                        平成十三年四月一日 二九一号
 
                 高齢がうかがわせる側面       


 七十五歳の人が知人からパソコンを習い始めた。熱意は非常に高くて操作法などの本を買いこんで学ぼうとするほどである。
 知人は手始めにマウスの操作を教え、練習をするように言ってかえった。
 一週間後、「マウスはどれでしたか」と聞かれて、友人はほとほと困らされた。
 私も出先で帽子や眼鏡を忘れた鳧、家の中で書類の置き場所を探すことが増えてきている。確かに生理的なものを感じる。
▼「徐福」の謎(新刊書の書名) 
 「秦の始皇帝の命を受け、徐福は不老不死の霊薬を求めて、蓬来の国、日本へ出発した。…。」。
 人は「初めに老いありき」の存在であるのは否定できない。
 不老不死は考えると意味のわからない語句である。
 辞書によると「いつまでもとしよらぬこと。年よりじみないこと」と説明されている。前の解釈はどう考えてもありえない。後者は人の心がけとしても生活態度として大事なことだろう。 
▼徐福が不老不死の霊薬を求めて、日本へ出発したといわれるその国は少子・高齢化社会を迎えている。その反面、医学は再生医療への研究がすすんでいる。
 不老に反して老人対策(病気の問題ー経済にも影響、動作の反応速度が遅くなる、物忘れが増える、記憶力の低下など)が実行されている。
 

                                        平成十三年三月一日 二九○号

                         心配と心労  

          
 ある日曜坐禅会の定刻(朝八時)より少し前、私の座のすぐ前に女性が坐る。坐禅の姿から初めての体験だとお見受けしました。
 坐禅も終わり、なんとなく話したい様子なので、庭濶で話しましょうと、M先生とごいっしょに。
 「坐禅にこられた動機はなんですか」と、M先生がききますと
 「中学校で教えていますが、悩みがありまして、坐禅でえられるものがありはしないか」と。
 M先生も中学の先生ですから、話しやすくなられて
 「どこの中学ですか、担当教科は?」
 「T市のH中学校で国語を教えています。三年になります」と。
▼「心配(こころくばり)をしても心労はしないように」とのお話を曹源寺での毘沙門天祭で老師から祖母が聞いて参りましたの。私は心配は不安と同じ意味にしか思っていませんでしたので、もう少し詳しく老師から伺いたいと思っているのです。
▼「こころくばり」は、人様からうけているものにはなかなか気付かないものです。たとえば親の苦労は自分が子供をもって初めて気付くなどと耳にします。自分で人に何かをする時には、これほど気をつかっているのになぜ応えてくれないのかと愚痴がでてきます。自分が誰かにしていることにたいして、求めるものがあるものです。相手からなにも求めないこころくばりはできないものか……。
 初めて坐禅にこられた人から「こころくばり」について考えさせられた日曜日でした。


                                        平成十三年二月一日 二八九号

                         自分の話し方を聞く      

 自分の表情は鏡で見ることができる。人と対話しているときはどんな様子なのか。明るいか、それとも暗いものなのか。話す速さは、受け応えなどは。
 対面しているときと電話での話す聲の様子は違いがあるかも知れない。
 いずれも、自分の話す聲は耳に入っているからこんなものだろうと、自分なりの見当をつけている。電話でのやりとりを録音して聞くと、どんな話し方をしているか意外な発見がある。
▼まず、自分の聲が自分の聲ではなくて、他人のもののようである。妻に聞いてもらうとそっくりだという。録音する機器によって少しくらいの変化があるとしても自分で想っている聲と受手が聞いている聲に違いがあるのはどうも事実のようだ。
▼ある日の電話で録音を聞くと、相手の言われたことを何度も聞き直している。耳が遠くなっているためか聞き取りにくくなっているようだ。また、問われもしないことをこちらから話している。そのうえ、話しがくどくなっている。自分の欠点に気付かせられる。

                                      平成十三年一月一日 第二八八号
 
                    新世紀初年と十干・十二支

 二○○一年 新世紀を迎える。
 日本の年号では平成十三年。十干・十二支では辛巳(かのとみ)。
 一月一は甲子(十干・十二支の最初の日)である。
▼今年、生まれた人は「巳どし生まれ」だと、私どもは、十二支を使っている。歴史では「戊申の役」などを教わった。そのほかには日常的にはあまり使われない。
 これらは、中国で、一般に順序を示す記号として用いる(現在ではどうか知らない)。この組み合わせで、年や月や日を表わした。
▼十干・十二支のような古いことを持ち出すのはどうかとも想えるが
 今年の辛巳について司馬遷の『史書』を読むと、
「辛」は万物が新生する意味で辛という。
「巳」は十二支において巳にあたり、巳とは陽気が巳(みな)つきはてる意味である。
「万物が新生する」と「陽気がみなつきはてる」の説明を組み合わせは一体どう考えればよいのだろうか。まったく矛盾した説明であるようだ。
▼陽気がみなつきはてると極陰といえる。やがて陰の極は陽に転じ万物が新生して将来の発展につながるのだろうか。万物は流転してとどまるところを知らずといわれている。浮き沈みは人の世の常であると自覚して自分自身がそのときその場での最良の対処を教える年であるのだろうか。あるいは、節目の年を表わしていると考えるのだろうか。
 皆様には「辛」の年であることを祈念いたします。  

                                     平成十二年十二月一日 第二八七号
 
                     日曜坐禅会ー年末の行事

 曹源寺での日曜坐禅会の年末の行事として普段の坐禅に大掃除が加わる。
 平常通り、朝八時から九時まで、本堂で坐禅。その後、当日の参加者全員と修行者たちが数班に分かれて、修行者(ほとんど外国の人)の指示のもとに三門、本堂、開山堂、経堂、鐘楼、鼓楼、書院などの建物の掃除。本堂の裏の丘には池田家のお墓がある。多くの木々に囲まれ、また植木もあるから落葉、枯枝などの掃除片付けを行う。約五十人の大掃除。
▼一時間半程度で掃除が終わると、準備されたお湯で手を洗い、一同、小方丈に集まる。普段であれば座布団も並べらた小方丈での茶礼に抹茶とお菓子を頂いていますが、特別に善哉と漬物、蜜柑の接待を受ける。昨年はドイツからの修行者の一人のお母さんから送ってこられた小豆によるもので、まさに国際的。
▼日常は修行者たちにより、総門からの境内の掃除が行き届いている。竹箒の目がたっ歩道を歩かせていただいているのであるから、年間ただ一回の掃除作務くらいは、日曜坐禅の私にはせめてと思う。
 今年の年末の日曜坐禅会は大晦日である。
 どこの家庭でも大掃除と同時に正月の準備もあり忙しいことでしよう。ともかくも、こころの掃除もして新しい年を迎えたいものです。
 ハガキ通信を読んで下さりありがとうございました。

     翁草      

                          平成十二年十一月一日 第二八六号
 
                            花 托

 初めて知った言葉でした。
 今年の夏、曹源寺の総門を入ると山門までの間に放生池がある。その中央に石橋が架かっている。右側には毎葉蓮(紅蓮系の普通種)、左側には太白蓮(白蓮系の大形種)が植えられれて、葉、蕾、花、花托へと移り変わるのを毎日、朝と夕方に見ていました。
 蓮は種から成長して根茎になり、一節、二節と、伸びながら節のところに髭の様な根を作り成長する。はじめの一節、二節から出てくる葉は水面に浮かぶ浮葉になり、三節目から背の高い立葉になるのだそうだ。
 蕾の期間は約一週間前後で、開花は約三日であった。二日目が全開で見栄えがします。そして三日目くらいから花びらが散っていきます。そのあとには薄緑色のシャワーの先端の逆三角錐型のものがながい柄の先に残ります。これが花托です。
▼花托:「花梗の頂端にあって花の諸部分を着生する部分。花床。」と説明されています。
 この言葉は、なんとよい言葉でしょう。素直に読んでも「はな托す」。
 蓮の花を見ていると開花時には長い花梗の頂端にあって、花托は花の中心にあります。周囲に雄蕊が取り囲み、そのさらに外側に蓮の美しい花びらが取り囲んで花の世界を作っています。開花が終わると、花びらが散り、薄緑から黄色へ、さらに褐色へと。花梗も同じ色に移り変わります。
 ありのままの姿、次ぎの世代の花に托す変遷をあますことなく、人間の考えを超えた力を感じさせられます。
 「かたく! かたく! かたく!」と唱えると聴こえてくるものがあるようです

                                      平成十二年十月一日 第二八五号   
 
                           ドップラー効果

 ある日、公民館で若い人たちと雑談していると、高校の物理が話題になった。その一人が、覚えているのは「ドップラー効果」であると。
▼遠くの方から救急車のサイレンの鳴る音が聞こえ、近くなると大きな音になり、遠ざかると小さくなる。
『音源や観測者が近づいたり、遠ざかったりすると、振動数が異なって聞こえます。この現象を「ドップラー効果」といいます。』と教科書には述べられている。
▼この物理的現象を自分の学習活動にあてはめてかんがえてみても同じことがいえるようだ。
一 たとえば講演会が開催されるとすれば、参加すれば音源が近づいてきているのだからより振動数が異なった印象に残るお話を聞くことができるのではないか。
二 自分の尊敬する人にできるだけすすんで近づけばきっと立派な音源をもっているに違いないから、その人に接すればこれまた振動数が異なったことを聞くことができるではないか。
 「ドップラー効果」も物理で音速・波長・振動数などで計算して説明されてもなかなか理解できないものだが、以上のように考えられないだろうか。
▼日曜坐禅会への参加は私の「ドップラー効果」の応用だと感じている。
 季節は秋 みなさん十分にお楽しみください

                                    平成十二年九月一日 第二八四号
 
                      倉安川ーくらやすがわ
 私が住んでいる近くに小さい倉安川が流れている。田圃の用水路としか考えていなかった。最近、その歴史の掲示板が川のほとりに建てられた。
▼倉安川は延宝七年(一六七九)池田光政が津田永忠に命じ、吉井川と旭川を結んで開削させた延長約二十Km、幅約七mの水路です。倉安川には大きく灌漑用水路としての機能と舟運のための運河としての機能の二つがありました。
 灌漑用水路としての役割は、新たに開発された倉田新田及び沖新田への用水供給という役割を担ってきました。用水の配分は番水制によって管理され、現在においても継承されています。
 倉安川の運河としての役割は、岡山の城下町への年貢米等の運搬路として高瀬船などの航行に供されていました。、また、池田光政が江戸からの帰途和気郡坂根村から船に乗り岡山の城へ帰ったこともあるそうです。
 この川は、はじめ新川とも称されていましたが、津田永忠の意見により、倉安川と命名されました。
 倉安川沿いには、常夜灯、高瀬廻し、かわいち(川へ降りる階段)、船頭道(船を引くために設けられて通路)、休憩のための日陰の役を果たしていた栴檀の木など往時のの面影を偲ばせるものも所々に残されています。
 私達の祖先の生活を育んできた倉安川の三百年の歴史を大切にしながら、守り育てていく必要があります。                                                               岡山県・岡山市
▼秋にもなり涼しくなれば、古老に案内してもらって現状を確かめてみたい。幕藩時代、民主制時代の歴史的背景の相違があるにしても政治担当者の実行力などについてかんがえさせられる。十年後評価される事業はよい企画であろう。二十年たっても評価されるのはさらによい計画であろう、ましてや三百年以上活用されているのは凄いといわなければならない。
▼与党の公共事業見直しは、採択後五年以上たっても着工されていない。完成予定を二十年以上経過して完成していない。政府の公共事業再評価システムなど休止(凍結)。実施計画調査に着手後十年以上経過していないーーの四項目。島根県の国営中海干拓事業の中止と、徳島県の吉野川可動堰計画を白紙凍結とすることなどが報道されている昨今と…。

                                     

                                       平成十二年八月一日 第二八三号
 
                            岩清水    
 
 岡山駅から西大寺への県道にある私が乗降するバス停の直ぐ北側は、操山の東の端に近い、里山になっている。その山道は私の好きな散歩の道である。
 里山へ上り始めると、少し急な坂道がある。左右は竹林や雑木で囲まれている。七分間も上れば、南側には展望の開けた花畑があり、その遥か彼方には児島半島の峰々が連なっている。天気によって多彩な姿を見せてくれる。背後は、お瀧山の名前のように岩盤があらわになった部分があり、古くからのお話ではその岩の面を水がながれていたそうだ。今でもわずかであるが水がにじみでている所がある。現在はその岩盤の下部に十五位の鉄棒を差し込んで、その下に瓶でうけている。
 私は散歩の途中に何度もそこに立ちよっていたが夏の早朝の散歩中にこの清水の流れ出ている量を測ろうと思いついた。
 測定のための道具はプラックス製のコップとストップウォッチ。期間中の気象条件は新聞記事によることにした。
▼七月二十日から三十一日の平均の量は約1グラム/秒。2リットルのペットボトルで約四十三本も一日に流れ出ていることがわかった。思ったより多い。外気の温度と流れ出す量の関係は測定開始してから短いからまだわからない。
▼今回、測定したものは小さい森の山の保水量のほんの一部の漏れ出した量だろう。測定期間中、ものすごい夕立ちがあったが短時間のうちに山道での水の流れは止まった。こんな小さな山の森でも腐葉土に覆われ雨水を保水して木々を育て水の貯水タンクの役目をしていて、山全体として水の浄化をしているようだ。都市の街路は舗装され、大雨が降れば洪水が多くみられる。山の樹は倒され、崩れていることがどれだけ私たちの日常環境を悪化させているかこの簡単な測定だけででも私には考えるきっかけになったようだ。
 子供たちのの夏休みの宿題のようであるが自然環境と生活の関係の一端をしることができた。

                             

                                       平成十二年七月一日 第二八二号    
 
                遊 び…パソコンのキーボードへの打ち込み方

 パソコンのキーボード打ち込みは、多くの人が両手打ちをすすめている。
 私は右手しか使えない。その上、中指一本だけでの打法であった。
▼パソコンでのワープロの打ち込みの場合、職場での文章の打ち込みなどを頼まれたときにはその速さと正確さが要求されるだろう。私は自分で文章を作り、推敲添削をくりかえすので打ち込む速さはまったく気にしていなかった。ところが、その指の節が痛くなり、その他の指も使えば負担も軽くなり速くなれば一挙両得ではないかと思うようになった。
▼楽器などで指の運動を練習したこともないので五本全部を動かすことは簡単にはできない。とりあえず人差し指と中指の二本にした。 
 ともかくも自分でためしてみよう。そのうちに指の運びにもあるパタンができ上がり、経験則らしきものを見つけるだろう。約二週間の試行では、中指の負担も軽く、打ち込みも楽で、速くなったようだ。画面だけをみての打ち込みは出来ない。その訳は片手であるために両手打ちのように両手の位置をある程度固定して指だけの打ち込みができないから。
▼私はローマ字打ち込みをしている。ア行を除くka.ki.ku.ke.koなどと二字目のうちこみはア行であることにヒントがあるのでは。
 私の場合、a.i.u.e.oの各々の始めのローマ字がキーボード上でその右にあるか左にあるかにより、それぞれ右指(中指)から、あるいは左指(人指し指)から使い始めている。例えば、「か」であればkがaの右にあるから右指から。なんだ、そんな、たわいのない! と人様からみればなんでもないことでも、やっている本人はそうでない。無駄のない指の使い方をしているものだと気付く。おおげさにいえば頭脳の働きは自分では考えもしないことをしているものだと。 

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